糸口

お蚕さんの丸い繭を糸にするには

お蚕さんの命ごと繭を煮て

 

命のやりとりが行われた白い煮繭の表面を

すっと優しく小さなほうきで払うと

糸がもつれ出てきて

そのもつれ出た糸から一本の糸の端を見つけていく

それが『糸口』になるのだそうです。

 

最近夢中になって読んでいる小説で

印象に残ったエピソードです。

 

お蚕さんの命を思うと切なくなりますが

命をいただいて生きているということが

心に響きます。

 

そして響いた先に

今の私の気づきもありました。

 

 

最近の私は今までの人生で

無意識に握りしめていた『罪悪感』を

手放しました。

 

それはある意味

『罪悪感』とともに生きてきた私という

エネルギーを煮て

命のやりとりをした末に

新しい世界を生きる繭という私を

得たのだと思います。

 

真っ白い繭は

『役に立ちたい』というエネルギーでした。

 

新しい世界を生きることができる

命をいただいた感謝とともに

さぁ、この『役に立ちたい』を糸にして

現実で使っていくんだとした今

 

糸の端である糸口を探るため

ほうきではらうと

『役に立ちたい』から出てきた糸のもつれは

思ったよりも絡まっていることに

気づきました。

 

糸のもつれができた原因は『力み』

 

最近の私を振り返ると

『役に立ちたい』エネルギーを使いたくて『力み』

 

それが『よかれと思って』

になってしまっていたのに気づきました。

 

『よかれと思って』は境界線が曖昧になって

相手の領域に入ってしまうもの

 

相手の領域に入ってしまえば

純粋なエネルギーである『役に立ちたい』が

生かされるどころか

相手の学びや気づきを得ることを邪魔する

『よけいなお世話』にだってなりかねません。

 

相手も自分も大事したいのに

どちらも疲弊してしまうこともあります。

 

 

最近

大きくエネルギーを動かしていこうとするかたに

立ち合わせていただく場面があったのですが

応援する気持ちでありながら

前のめりになっている自分の姿勢が

過剰であることに気づいて

ハッとしたのでした。

 

このハッとしたことは

絡まった糸をさらにはらっていくことに

つながりました。

 

『役に立ちたい』というエネルギー領域の

自分と相手の境界線を確かめるすべになり

糸口が見つかったのです。

 

糸口は

 

『ここにいるだけで

 もうすでに役に立っている』

 

ということに気づくことでした。

 

この一連の流れは

『罪悪感』を握りしめて生きるという極と

『役に立ちたい』と生きるという極を知って

私という織物を

どれくらいの力加減で織っていけばいいのか

知るためにあったのだろうと思います。

 

 

この『糸口』は『起点』

『ここにいるだけで役に立っている』が回って

私に返ってくる循環を味わっていった先に

私という色

私という模様の

私オリジナルの織物が

できているのだろうと思います。