変化 

今思えばずいぶん長らくの間

『変化していく自分』に向き合ってきました。

 

変化することに対して

 

期待したり

希望をもったり

わくわくしたり

落胆したり

焦ったり

苛立ったり

怖がったり

コントロールしようとしたり

やさぐれたり

諦めたり

 

これらが複雑に組み合わさって

(なんなら過去のネガティブな自分もくっついて)

迷いの中にいることもありました。

 

そして

そんな感情に対して

体はどんな様子になっているのかも

見つめてきました。

 

どこかが凝ったり、張ったり

呼吸が浅くなったり(急に深呼吸したり)

感覚が何か上半身(特に頭)の方にあったり

緩んだり

 

どうにかしていかなければと

頭(思考)が先に走っていってしまって

体が忘れていかないで〜となる

『自分がお留守になる』状態にも

さんざんなりました💦

 

そういうとき体は

症状を出して

待ったをかけてくれました。

 

症状は愛のうちに起こっているのですね😭

 

初めは症状のある自分

治らない自分を責めてしまい

痛かったり

怖かったり

ただただ辛くてそうは思えませんでしたが。

 

 

心も体も

ひとつ

ひとつ

手に取っていくように

いろんな角度から見て

くっついているものがあれば分けて

払って

磨いて

それが何かはっきりと見えるようにしてきました。

 

退職して

ちょうど一年

 

この一年は特に

自分を追い込んだ状況にならないと

出てこないものを

ずいぶん出してこれたと思います。

 

はじめは

ネガティブからポジティブその振り幅は大きく

その振り子だけを見て

振り子の振れについていっていました。

 

途中

振れの真ん中がわかるようになり

 

支点の存在も感じるようになり

 

そして最近見えてきた世界は

こんな世界でした。

 

2月に置かせていただいた箱庭です。

 

噴水の水も

誰に聴かせるのでもない

猫が弾くピアノの音も

美しい景色とともに

ただただ流れています。

 

 

『変化していく』とは

それでいいのではないか

 

 

 

芽生えたその思いに腰をおろそうか‥

 

そこで

ピンクの椅子を置くことができたのでしょうね。

 

そして今までの

『変化していく』というものに対して

役目を終える何かもあるのです。

 

それが

傾いた椅子なのですね。

 

どこか学校で使うような椅子

 

小さい頃から身につけてきた自分で

どうにかして生きていくことや

何かを足して自分を作っていくことに

安心していこうとする自分

 

それが役目を終えようとしているのです。

 

傾いても

そこにあること

それでこの世界は完全なのです。

 

 

そんな世界の少し外側から

本来の私である

箱庭の手前にいる小さなアヒル

見ているものがありました。

 

ヒル

噴水やピアノや椅子がある場所の

世界も確かに感じながら

その世界の奥にある

 

鏡を見ていたのです。

 

鏡には

ヒルが映っているのですが

そこにはありのままのアヒルがいるのでした。

 

 

 

 

そして1週間くらい前の箱庭です。

骸骨さんです。

びっくりさせてしまったかたがいらしたら

ごめんなさい💦

 

毎月一回置かせていただいていた箱庭ですが

2月、3月はご縁があって

数回置かせていただきました。

 

変化していくことに対して

 

期待したり

希望をもったり

わくわくしたり

落胆したり

焦ったり

苛立ったり

怖がったり

コントロールしようとしたり

やさぐれたり

諦めたり

 

それらすべてにあり

ずっと持ち続けていた

大きなものを弔ったのです。

 

それは

 

力み

 

数年前

幸せになるにはどうしたらいいんだろうと

これまたもがいた状況もありましたが

そのときも今の流れと一緒で

幸せというものを

ひとまわり大きく

ひとつ高く見ていたんです。

力んでましたね〜😅

 

ですが童話の『青い鳥』の話と一緒でした。

 

幸せの青い鳥を探しにいくけど

どこにもいなくてがっかり‥

でもいたのですよね

自分の家に

 

何も探しに行かなくてよかった

自分の家に(内に)いたのです

 

今、昔の私が

仕事がなくて貯金がどんどん減っているのに

仕事を探しに行こうとしていない

この状況だけ見たら

卒倒するかもしれない🤣

 

でも

私は今

とても幸せで

 

かけがえのない気づきという人生の宝物を

たくさんもっています。

 

 

ちょっと前にスパルタ指導された

鯉マンたちが持っていたお宝

 

これは何を表しているのだろうと思っていました。

 

この宝箱は

開いた状態で自立させておくことができなかったため

傾いた塔を使って宝物のふたを開けていましたが

それも意味があったのですね。

 

その宝箱は

 

無我夢中で生きてきた経験そのもの

 

そして中に入っていたお宝は

 

そこで得た『気づき』

 

だったんですね✨✨

 

経験あって

それが支えになり

気づきが生まれるのです。

 

 

 

今を謳歌しよう

 

変化は振り返って

できた足跡で知ればいい☺️