安倍元首相の

ご冥福をお祈りいたします。


普段

悲しくなったり

不安になったりするようなニュースは

あまり見ないようにしている私ですが

ずっとニュースを見ていました。

見ずにはいられませんでした。



その間悲しみというものだけではない

何の涙か分からない涙が

ずっと流れていましたが


涙に意味づけなんてしなくていいから

流れるものは流そうと思いました。




私には

時間を巻き戻せたらと

自分を責めるエピソードがあります。


でも

それは結果として起こってしまって

時間も状態も取り戻すことはできません。


今は

そんな自分がいることに蓋をするのでもなく

その状態をきちんと見ることができていますが


それは当時

きちんと悲しんで

涙を流せたからだと感じています。



当時は

私より悲しい人(本人)がいるのだから

私が悲しんではいけないし

私が落ち込むと

まわりも落ち込ませるし

心配をかけるからと

元気な自分を見せなくちゃ

と思っていました。


トイレに行くと

自分がどんな顔をしているか鏡でチェックして

その顔にショックを受けながらも

口の端をなんとか上げることで

元気という仮面を装着していました。


ちょっとでも気を抜いたら

張り詰めているものが決壊してしまうからと

自分を見張っていました。


心とは真逆の自分を作ること


これは

辛かったです。


自分がどこに向かっていて

どっちを向いていいのか

分からなかったから。



幸いにもその時には

素晴らしいカウンセラーさんに出会っていたので

添っていただけたことで


自分を責める前に

そうか自分は悲しいのだと


悲しくて

悲しくて

悲しくて仕方がないのだと


ひたすら感じて

涙を流させていただく時間を

いただいたのです。


それは方向感覚を取り戻すような時間でした。



涙を流すということには

自分の心には大きすぎるものを

自分が抱えることができるように

自然と整理してくれる働きがあって

いつの間にか自分にとっての

前という方向に向ける

という力が備わっているとも思います。


例え

歩き出せなくても

歩き出す自分が許せなくても

無意識にでも

どこが前なのか感じられていることは

生きることにつながるのかなと思うのです。