断捨離と内観と今の私

職場の断捨離も

新しい倉庫が来るまで

一休みとなりました。


あとは倉庫が来たら

荷物を入れるだけ。

それで断捨離は終了です😌



断捨離しているうちは

まだ体を動かしていたので

気を紛らわせることができましたが、

ここに来て

手を動かすことを

しなくなると

ガッツリ

自分に向き合わざるをえません。


なんだか

おさらいをした後、

最終試験に

挑んでいるように感じました。




おさらいの内容は、


私がいくら手を尽くしても

どうにもならないことが

世の中にはあるという

虚しさ‥



この虚しさを

味わい尽くすことから始まりました。




現実では、

虚しさを味わい尽くすと決める前まで

起こっていた

私の手の届かないところで起こる

ちぐはぐのような出来事は

味わい尽くすと決めると同時に

ぴたっと

なくなりました。


気付くと現実が変わる

ということの再確認😅




そして

虚しさを味わいながら

内観を進めると

それまでなんとなく

見えてはいたけど

見ないようにしていた

感じないようにしていた

自分が出てきたのでした。



不甲斐ない自分


その自分に対する怒り



そんな自分を、

断捨離をするときのように

一度手に取ってみて

見てみると

その後ろに隠れていたのは



みじめな自分



このみじめな自分を

感じたくなくて

ふたをして

必死になって守ったはずなのに

現実には

最近起こった衝撃の出来事を通して

ありありと

みじめな自分を見たのでした。



さて、

この

みじめな自分を生み出した

根源はどこか。



大人になり

どんなに自立して生活していても

現実に起こってくる

課題のように感じる出来事は

生育歴や家族との関係に

関係していることが

ほとんどだと思います。


それは

いろんな感情が

からまって

本来の自分を

隠してしまっていることも

あるのです。



私は

見つけたのでした。



心配をする

心配をさせる



そのエネルギーで

両親の愛と

つながってしまっている部分を。



心配をさせるには

みじめな自分を作らなければ

なりません。




断捨離をする流れになる前に

私は豊かに在ろうと

していました。


でも、

このエネルギーに

ふたをされたままでは

どんなに豊かであろうとしても

豊かになるはずがない💧



そこで、

今のタイミングで

この心配でつながるエネルギーや

虚しさや

みじめな自分を

解き放とうと

本来の自分が

立ち上がったのだと思います。



『気付いてふたをあけてほしい。

そんな自分がいることを

認めてほしい。

両親と私が出している

心配を介した

つながりは

もういらないよ』



本来の私は

そうメッセージを送り

実際にそれらのエネルギーを

私が感じとれるように

衝撃という形で与えたのでしょう。





ここまで感じ切れたことや

感じたことを

こうしてブログに綴り、

言葉にできたことで

すっかり削ぎ落とされた

『私』

というものを見ている気がします。



あとは

出てきた感情を

心のおさまる場所に

おさめるだけです✨


現実の

倉庫がきたら

荷物を入れるだけという

はからずも

心と現実が

同じ状態になっていることに

驚きます。



断捨離も

受けた衝撃を癒すことも

出てきたものたちと向き合うことも

本当に大変だったけど、

やるしかなかったし

やってよかった✨


そう思って立てている

今の自分をますます

好きになれました😊